この社会がどうしても許せなかった頃の話#1
10年以上前のSNSは、だいたい、同年代、同じ趣味の人と繋がる事が多かった。
学生同士のコミュニティは、まるでこの社会が平和で満たされているかのような錯覚を覚えるものだった。
しかし数年が経ち、SNSの形態は変わってきて、私は大学2年生くらいの頃から、Twitter等で「"働く"とはどういう事か」を聞きかじっていた。
そう、このあたりから、上の世代の情報もどんどん入ってきやすくなった。
勿論、それまででも年上の世代の情報網にアクセスすることはできたけど、たとえ関心が無くても、別の世代の情報が目に入ってくるようになった。
(2022年現在では情報が飽和して、自分が興味ある情報しか摂取しないように選択できる流れに回帰してるけども)
「働くと、遊べなくなる。遊べるのは学生まで。」
「人は老後までボロ雑巾になって働かされる」
というものが、本当に多く流れてきた。
それがどうやらネタではない事も伝わってきたし
大学の講義でも「就職すると、やりたくもない仕事、上司や顧客からの説教に耐え、会社と家を行ったり来たり」が当然のようにスタンダードとして語られ、決して人の注目を集めるためだけの作り話、絵空事じゃないってことが、ハッキリと感じられた。
仲良くしていたネット上の友達が、社会人になってからどんどん浮上しなくなって、消えてしまった。
たとえ消えてなくても、今までは毎日元気に見かけていた人が、
まるで底に沈んでいた死にかけの生き物が息継ぎをしに来るかのように
1ヵ月~2ヵ月に1回、1言だけつぶやいて、また沈んで見えなくなる。
私はここで社会が嫌になった。
「嫌」って言葉よりもシンプルで的確なものは無いと思う。
ちなみに私は大学3年生を3回やっている。そう。2回留年してる。
それくらい色々と嫌すぎた。
「こんなのは間違ってる。許せない。」と思った。
社会人になってない学生だったから、直感で強くそう思う程度の抽象的なものだった。
そして就活の時期
大学のセミナーで配られた資料には「面接では、瞬きは○秒に1回、必ずしましょう。この頻度は少なくても多くてもいけません。○秒に1回、面接官を見て、にこり!としましょう。」とか書かれてた。
今思えば、これは相当大外れな、変な企業がセミナーを主催した回に出席してしまったのだと思う。
就活から労働に至るまで「この社会は頭おかしい」って心底思っていた。
私はたまにそういった気持ちをぽつぽつと吐き出していたので、社会許さんbotとか言われてたし、自分でもそう言ったりしてた。
3回目の3年生の後期は半年ほど休学して、小さな塾の数学講師のバイトとかやってた。
それより前に経験した接客業のアルバイトは私にとって地獄そのものだったけど、講師っていうのは対面する生徒より立場が上だから、接客業より精神的に楽だった。
「こういうのならやってもいいかもな」って、私にも務まるお仕事を見つけた気がして、だいぶ前向きになった。
4年生(大学生6年目)の就活。
書類上の扱いは「新卒」だけど、自分の立場は理解していた。
理解していたが為に、書類は通らなかった事で就活にすぐに諦観を覚えていた。
私が唯一書類通過した傾向は、SPIやCAB等の、現在の学力を見るもの。
当時は自業自得と思いながらも本当に悲しんでいたけど、自ら面接官もする側になった今、改めて考えると
やっぱり自業自得だったと思う。
試験通ったとしても、興味がある業界はまぁ全敗。
相当追い詰められていたけど、じゃあ、「試験点数で評価される」「最上の就職先」はどこか?
そう、国に近い古い思想の場所。
とはいえ、公務員試験を勉強する時間なんかはもう無いので、
この時に受けられそうなのは某手紙とか届ける系企業の営業職しか空いてなかった。
当時の私は情報系学生だったので、ブラックIT企業で死ぬって話をよく聞いていた。
「営業だかなんだか知らないけど、元々死ぬような職種だから他行っても変わんなくない!?!??!?」
とか思った。
1次試験、2次試験は難なく通過。
面接は選考人数があまりにも多いため、最終面接はもはや定年後のおじいちゃん役員による「やる気、元気の確認」だった。
※これ昔の話だから、採用基準の参考にはならないよ。
チェックシートを付けているのは見えたけど、おそらくほとんど試験で判断しているため、これも通過。
なんと無事採用。
社会人になり、地獄の始まりだった。
#2に続きます。